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本誌連載のロシア人作家、ダニイル・ハルムス。 |
画家ミッケ・ランジェロは山と積まれた煉瓦の上にすわり、頬杖をついて考え始めた。そのとき雄鶏が通りがかり、丸くて金色の眼で画家ミッケ・ランジェロを見た。まばたきひとつせずに見た。画家ミッケ・ランジェロは頭を上げて雄鶏を見た。雄鶏は眼をそらさず、まばたきせず、尾も動かさなかった。画家ミッケ・ランジェロは視線を落とし、眼がしみるのに気がついた。画家ミッケ・ランジェロは手で眼をこすった。すると、雄鶏はもうそこにはいなかった。もうそこにはおらず、歩いていた。納屋の向こうにある鶏舎の方へと歩いていた。鶏の仲間たちがいる鶏舎の方へと歩いて行った。
画家ミッケ・ランジェロは煉瓦の山から立ち上がり、ズボンについた煉瓦の赤いほこりを払い落した。それからベルトを投げ捨てて、妻のところへ行った。
画家ミッケ・ランジェロの妻は背が高かった。とても高かった。部屋ふたつ分の高さがあった。
その途中、画家ミッケ・ランジェロはコマロフに出会った。彼はコマロフの腕をつかんで大声で言った。「おい、見ろよ!」
コマロフが見ると、球があった。
「あれは何だ?」とコマロフがつぶやいた。
天から声が響いた。「あれは球だ。」
「いったい何の球だ?」とコマロフがつぶやいた。
天から声が響いた。「滑らかな表面の球だ!」
コマロフと画家ミッケ・ランジェロは草地にすわった。きのこのように草地にすわっていた。彼らはお互いの手を握り合って、空を見つめた。空にあるものは徐々に巨大なスプーンの形を取り始めた。あれは何だろう? それは誰にもわからない。人々は走って家の中に逃げ込んだ。彼らは戸や窓を閉めた。でもそれが何の助けになるだろうか。もちろん、何の助けにもならない。
私は1884年に、天にごくありきたりの彗星が現れたのを覚えている。蒸気船ほどの大きさの彗星だった。あれは不気味だった。そして今度はスプーンだ! この現象に比べれば、彗星など何でもない。
窓と戸を閉めるなんて!
それが何かの助けになるのだろうか? 天の現象に対しては、板切れなど何の役にも立ちはしない。
うちのアパートにニコライ・イヴァノヴィチ・ストゥーピンが住んでいる。彼は、すべては煙のようなものだ、という理論の持ち主である。けれども私の考えでは、すべてが煙というわけではない。ひょっとしたら煙なんか、まったく存在していないかもしれない。ひょっとしたら、何も存在していないのかもしれない。存在しているのは区別だけなのかもしれない。あるいは、ひょっとしたら区別もないのかもしれない。難しい問題だ。
うわさでは、ある有名な画家が雄鶏を観察した、ということだ。観察して、観察して、しまいには雄鶏は存在しないという結論にたどりついたらしい。
その画家はそのことを友人に話した。すると友人は笑った。「何だって」とその友人は言った。「存在していないだって。雄鶏が目の前にいて、それをはっきりと見ているのにか。」
すると偉大な画家はうなだれて、そのまま煉瓦の山の上にすわってしまった。
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